2010年6月28日月曜日

商売の楽しみ その3 (らくてん通信より)

 京都楽天堂高島千晶さんとの往復書簡より。その3


千晶さん、商売について改めていろいろ考えるのは、楽しいです。

こういう機会をありがとう。


わたしも千晶さん同様、仕事の選択肢がこれしかなかったということだろうと思います。

 でも、小さな選択の積み重ねの結果、これに行き着いているわけだから、選んだ、とも言えるでしょうね。


この間、ツイッターで、「自分の生き方と矛盾しないいでお金を得る方法はないものかと探していた」というところを千晶さんが紹介してくれたら、“そう思って会社を辞めたけれど、今は「生きるためなら何でも翻訳します」という状態に近い”という返信をくれた人がいます。


わたしも、子供が生まれる前にやっていたイラストレーターをあのまま、やっていたら同じような状況だったと思います。

 友人にカメラマンや、イラストレーターやライターその他、すごく有能で、立派なキャリアもあるのに、依頼がこなければ、仕事がない。

 基本的に待ちの仕事なんですね。営業が下手で、マネージャーもいないとなると、活躍できなくてすごくもったいない。経済的にもなかなか大変そうです。


先号のハミルトン純子さんのアイルランドの税金事情を読むと、高い税金をとられるけれど、ある種の芸術家には所得税が課されない、と。

日本の文化度を上げるためにも、ベーシックインカムは導入されるべき。とリアルに感じます。


  話が脱線してしまいました。


それに比べると、ものを売る仕事は、わかりやすい。お金を得る一番原始的な方法だろうと思います。わらしべ長者ってまさに商売の話ですものね。


自分で売る場所や時間を決めて、自分で選択した商品を売る。

相手は世間の最前線にいる個々人です。買おうが買うまいがお客も自由。

そういうお互い自由な関係のなかで、どちらもが満足できる売り買いが成立できるんだったら、なんといい仕事でしょう。

考えてみると、自分がやりたいようにできる一番自由な仕事かも。


大資本の大規模店におされて、全国にシャッター街が増えている状況でこんなこというのは、脳天気に聞こえるかもしれないけれど、むしろこんな時代だから、商売の基本を忘れないで、お互いに個人的な関係を作っていける小さいお店にこそ、希望を感じています。


30年も前の話ですが、子供ができて、マイペースで出来るアクセサリー作りをはじめたのだけど、うちのアトリエでは手狭になり、西荻の元郵便局を仕事場に借りることになり、場所がよかったので、成り行きで、お店をやることになった 経緯は先号にも書きましたが、これが、わたしの「商売ことはじめ」でした。


お店をはじめて、びっくり。想像以上に、面白いなぁって。

お店というみんなに開かれたスペースがあれば、そこで何をやってもオーケー。やりたいことは何でも出来る。売りたいものは何でも売れる。それに、こちらの発信に応じて、いろんな人が来てくれる。(なんか、ツイッターに似てる。)


それに、実は人見知りで、知らない人に自分から話しかけるのは苦手だったのに、お店に来る人には、全然平気で話しかけられる。

お店の人という立場がはっきりしているからだろうと思います。


売るだけではなく、店先でお客に作り方を教えながら、一緒にものをつくったり(今で言うワークショップ)して、お客も、お客だか、店のボランティアだか、友達だか、という感じで毎日楽しかったものです。


ーー70年代、フラワーチルドレンの時代だった、ということもあるけれど、今 思い返すと、まだ商売の素人で、楽しいことばかりに気をとられていたのかも。


経済的にはとても厳しかったのに、お金のことは全くといっていいほど気にならなかったのは、やはり、時代のせいだったかも。

閉塞感のある今の社会とは違って、きっといい未来が拓けるだろう、と感じていたから。(直に幻想とわかりますが)

儲けを第一に考えたことは一度もないけれど、その後のたべものやの12年間では、時代の変遷もあったし、自分たちのやりたいことをやり続けていくために、ずいぶん鍛えられたと思います。ーー


脱線その2.今では考えられないけれど、町で黒い服を着ている人がいなかった時代です。

その後、どっと黒い服を見るようになるんだけど。


5,6年前、初めて千晶さんに会ったとき、京都に引っ越してすぐ、まだ荷物もほどいてない時、イラクで戦争が始まって、いても立ってもいられず 家の前に豆を並べて売った、という彼女の話に、とても共感したのです。


バブルの頃、立ち退きで「たべものや」をやめてから20年以上経っていましたが、やっと、後に続いてくれる人を見つけたような、嬉しい気持ちでした。


私も、店のやり方や商品を通じて、伝えたいことがありました。

私にとって、お店は、メディアである、というくらいの気持ちだったのです。


昔、士農工商とかいって、商売が貶められていたからか、商売=金儲けくらいのイメージしか持ってない人がいて、無意識にだろうけれど、ずいぶん差別的、と感じることがあります。


「売り手よし、買い手よし、世間よし」で、有名な近江商人は、商売人としてすばらしかったと思うんだけど、一方で、身分が低いのに、こずるく金儲けしやがって、、というやっかみ半分の悪評もうけていたそうで、商売を見くびるような見方は、そのつづきなのでしょう。


 実際、なりふり構わず、儲けに走る人がいるのは確かだけど、何事につけ、NOと言いたいようなネガティブな面に目をこらすより、こうあってほしい、こうありたい方向を見て、小さくても自分で実践していく方がきっと近道なんですよね。

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