2010年6月28日月曜日

ねんどとわたし

 1994年、友人のスペースのオープニングパーティで現ボディクレイ社長の手塚さんが持ってきていたモンモリロナイトのジェルを見かけたのが、そもそもの 出会いでした。今とほとんど同じチアパックの容器に入ったモンモリロナイトのジェル。見た途端に惹きつけられたのですから、やはり縁があったというべき か。

 いわゆる化粧品というのはうさんくさくて信用できないと思っていたし、そういう化粧品に高いお金を出すこと自体、当時の私たちにはかっこ悪くてはずかしいことだったので、わたしのスキンケアは ずいぶんシンプルなものでした。

 西荻の「たべものや」時代は、台所の棚にゆずの種を日本酒につけた瓶が置いてあって、それを手や顔につけていましたし、ビワの葉や種もよく使っていまし た。沖縄のおみやげに貰った火山灰の洗い粉「白つばき」はみんなが気に入って 結局お店でも仕入れて売っていました。これは火山灰そのものですが、ボディクレイのねんども何億年か前は同じ火山灰ですから、私にはなじみのものだったの です。

 自分で手作りした簡単なローションやクリームをずっと使っていたのですが、50歳を過ぎて、さすがにもうちょっとなんとかしなきゃ、というタイミングでこのねんどに出会ったのは今から思うと幸運でした。


 食べ物だって、なんだって、まだ試したことない素材だったら、作ってみたい、という好奇心だけは旺盛な私。ねんど、というだけで魅惑的だったし、すぐに でもこれで作って試してみたい、とワクワクしたことを覚えています。わたしがこれほどピンときたのに、手塚さんはなんだか自信がなさそうでした。大丈夫、 これはきっと売れるわよ、とわたしは確信を持って言ったのでしたが・・・。


 当時の私は、12年間続けた「たべものや」=女たちでやっていた安全な食材のレストラン=が、89年、バブルで立ち退きになったので、以来、わたしはやっと手に 入れた自由な時間を、アクセサリーを作ったり、個展やクラフトフェア、旅行や演奏などしながら、人生の夏休みという感じで、貧乏だったけど、楽しくすごし ていた時期でした。

クラフトやアート関係の友達も大勢できたし、アジアやアメリカに長い旅をしたり、六ヶ所村の脱原発のお祭りにスタッフで参加した り、、、

この生活に終止符を打つのは後ろ髪引かれる思いだったけれど、手塚さんに誘われて、結局、週に二日だけ、とか言いながら、粘土科学研究所に通うこ とになり、その後、どっぷりとねんどにはまることになってしまったのでした。


 まず、捨てても土に帰る安全性に惹かれたのですが、使ってみると気持ちいいだけでなく、思いがけない効果(化粧品に対して期待していなかったせいもあり ますが)もあったし、スキンケアだけでなく、他にもいろいろと可能性を秘めていそうで、興味津々だったからでもあります。


 この粘土(モンモリロナイト)の研究を十数年もやっていたのは、今は亡くなった手塚さんのお父さんだったのですが、彼からマンツーマンで化学の授業を受 けながら、一緒にレシピを考えたり試作をしたり、もともと勉強好きな私は手塚お父さんの熱心な生徒になって、モンモリロナイトなんて聞いたこともなかった 未知の物質の不思議さに、どんどん引き込まれていったのでした。


 でも、当時は、パッケージの形態こそ今に近かったけれど、違う名前で産声を上げたばかりの状態で、販売方針やアイテムの構成、価格等々、何からなにまでやることが山積していたのです。

 おかげで 私はいろんな分野の能力を全部引っ張り出して何とかしなければならない羽目になったのだけど、今思うとそれは楽しい体験でした。


 販売や経理的なことに関しては お店での長い経験があったし、製品のレシピの検討や試作はお料理を作る面白さ、むずかしさとよく似ていて「たべものや」の経験が役立ちました。

何よりきび しい消費者としてのキャリアがあった。

それに、大昔は、これでもセツ モード セミナの第一期ゲリラ(我ながら懐かしい!今となっては殆どの方は知らないでしょうけれど)のイラストレーターとして活躍したこともあったので、パンフ レットのイラストやレイアウト、ラベルのデザインも、好きな分野の仕事でした。


 ボディクレイという名前に決めて、販売を始めたのは95年、ラベルも基本的には現在のものと同じですが、当時の粘土科学研究所は貧乏だったので、最初の頃はコピーしたラベルに、手書きで丸く色を付けていたものです(その後、同じデザインの印刷へ)。


 その頃、私がねんどの仕事をしていることを知ったデンマークの友人が、彼女が愛用しているかけら状のねんどをプレゼントしてくれたのです。

彼女はこのね んどだけで全身を洗えるので便利、これだけを持って世界中を旅してる、といっていました。

わたしも使ってみたら、色、形、使い心地共に大好きになって、ち びちび長いことかけて大切に使いました。

これが「ガスール」だったのですが、その後、何年も、これがどこで採れてどこで手にはいるのかはわからなかったの です。


 ヘナの輸入をしたいという友人に誘われて、企画をしていた頃(現在のナイアードという会社で)、アレッポの石けんのスタッフが旅行のお土産に粘土を買ってきてくれました。これってモロッコの粘土だったんだ!モロッコでは、昔からこのねんどを石けん代わりに使っていたのでした。


 念願のガスールは、ナイアードで輸入することになり、今はいろんなところで手に入ります。ちびちびと使っていた十年前を思い出すと不思議な感じです。


今は SORAとして、ボディクレイやガスールと関わっていますが、丁度、手が離れて一人歩きしている我が子をみてる感じ、ですね。

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